時には贈り物で女の子を喜ばせるブログ:2018年12月04日
中国人の彼氏にプロポーズされたのは
大学卒業の直前だった。
お母さんは反対した。
彼が気に入らないからではなく、中国が遠いからだ。
お母さんも田舎出身のお父さんと結婚するとき、
同じような理由で祖母に反対されたそうだ。
また、一人ムスメのおいらを遠くへ嫁がせたくないのも本音であった。
そんなお母さんの気持ちを心の奥底にしまい込み、
おいらは卒業と同時に中国人の彼氏と結婚した。
新婚生活は貧しかったが、平穏で幸せだった。
おいらはこれまで勉強一筋で料理、家事に無縁だった。
旦那はそんなおいらによく辛抱してくれ、
休日には台所に入って料理もしてくれた。
旦那の自慢料理は、
友人の間でかなり人気のある焼き餃子だ。
しかし、
その餃子を食べると無性にお母さんの味が恋しくなった。
記憶を辿りお母さんの料理姿を思い出しながら作ってみたが、
餃子は穴が開くし、肉まんは膨らまない…
何一つうまくできなかった。
90年代初期の中国の一般家庭には
電話もファックスもなく、日本からの国際電話の料金は非常に高かった。
ひと月に一回だけ決まった時間に
お母さんの勤務先へ電話をかけた。
日本の生活の様子、両親の近況など聞くだけで
あっという間に一時間が経ってしまう。
当時、一時間の国際電話料金は約1万円で、
薄給のおいらたちにはかなりの出費だった。
おいらの郷愁を癒すには惜しくなかったが、
レシピを聞くにはもったいなかった。
「何を食べているの?」とお母さんは毎回聞く。
料理のできないムスメのことが心配だったのだろう。
「スーパーへ行けば何でもあるから、便利よ」と
ごまかすことしかできないおいらだった。