様々なデリヘルの歴史とプレイ内容ブログ:2018年10月10日
あたくしが母の料理のありがたみを知ったのは、
高校2年のときでした。
体を悪くした母が、
ひと月入院することになったのです。
母子家庭の我が家では、母は大黒柱。
このまま母がいなくなるのではないかと…
とても心細かったのを覚えています。
それまで、
きちんと料理の手伝いをしていなかったあたくしは、
母の見舞いに行っては
ご飯の炊き方から聞くような連日でした。
最初は母の見よう見まねで、
朝方食の用意、お弁当作り、夕方飯の用意…
とやっていました。
しかし、授業を終えバイトから帰るとへとへとで、
自炊などとてもできる状態ではなく、1週間と続きませんでした。
それまでのご飯は、
母があたくしの健康を気づかい、魚料理などの和食が中心でした。
煮物、ひじき煮、おひたし、切干大根…など
どれも栄養豊富な料理でしたが、
高校生のあたくしはちょっと物足りなさも感じてもいました。
だから…というか、この時とばかりに
自分の好きなものばかりを食べようと決めたあたくしは、
朝方食をご飯から菓子パンに変え、
お弁当はできあいのもの、
17時はインスタント食品やジャンクフードなどにし、
栄養も考えず食べたいものを好きなだけ食べていました。
当然の結果というべきか、
あたくしの体はそのつけを払うことになりました。
体重は9kgも増え、
肌にはニキビができ、髪もパサついた状態になりました。
しかも、たったひと月の間に2回も風邪をひいてしまい、
入院中の母を不安にさせる程でした。
術後の経過が良かった母は、
退院後家に帰るなり、
栄養たっぷり愛情たっぷりの料理を作ってくれることに…
母に食べたいものを聞かれ、
和食好きでもなかったあたくしが真っ先に答えたのは、
「煮物」でした。